いつか聴きたいなと思っていても、「また今度でいいや」となり続けてずっと手を出せずにいる曲がいくつもある。「積読」みたいなもんで「積楽(つんがく)」とでも言えるか。合唱だとブラームスの「ドイツ・レクイエム」はその一つだった。
今回ついに手を出そうと決めて、最初にどのアルバムを聴こうかということを考える。ここがクラシック初心者にとっては一番難しい。いわゆる「名盤」文化はサブスクでこれだけ多様な選択肢を呈示されることを鑑みれば、必要性は低くなったような気もしていたが1、信頼のおける誰かが「これは名盤だよ」と言ってくれた方が入りやすいというのはある。
ひとまずApple Music Classic、Presto Music で人気作などに候補を絞り、私のわずかばかりの経験や知識も踏まえ、今回はサイモン・ラトルがベルリン・フィルを指揮した 2007年リリースのアルバムを選んだ。合唱はベルリン放送合唱団(サイモン・ハルジー合唱指揮)。独唱はソプラノがドロテア・レーシュマン、バリトンはトーマス・クヴァストホフ。
なるほど、なぜこの曲が人気なのかは聴いていれば何となく分かるような気がする。バランスが優れた一作である。静謐な演奏で始まり、印象的な独唱も挟みながら、フォルテとピアノ、よろこびとかなしみ、痛みと和らぎ、を組み合わせた(ような)印象の音楽が次々と展開されていく。
若松英輔著『悲しみの秘儀』を読んで知ったことだが、「かなしみ」という言葉は、悲しみ、哀しみだけでなく、愛しみ、美しみとも書くことができるらしい。「かなしみ」という一つの音韻に、グラデーションのように悲痛さから美しさまでの「おもい」をのせられる、それはこれらの「おもい」が連なりのあるものだからだろう。
ブラームスの「ドイツ・レクイエム」はまさに、悲痛さや哀しさに対して、次第にある種の温もりが与えられて愛しさや美しさとして昇華されていく作品だったように思う。さらに言えば、そのような温もりを与えし存在こそが、祈りの対象である「かみさま」なのかもしれない。
書きながら、ポエティックで神的な面を強調した感想になってしまったが、こういった類の言葉でしか言い表せなくなるような、そんな「体験」があった。おそらくこういう経験ができるのは一度きりなので、少し気恥ずかしさもあるが、ありのままを記録しておこうと思う。
Brahms: Ein Deutsches Requiem, Op. 45
Berliner Philharmoniker & Rundfunkchor Berlin, Simon Rattle, Dorothea Röschmann (soprano) & Thomas Quasthoff (baritone)
2007 (Warner Classics: 3653932)
Presto
★★★★☆(2024/6/13)
- 新しいアルバムをお金をかけて買う必要がないので、とりあえず聴くみたいなことができる(ダメならやめれば良い)し、限られたお金で買えるものを買うみたいなことが必要でないので、先人の知恵に頼らず自分の耳に頼るということがやりやすいとは思う。↩