アメリカの作曲家エリック・ウィテカーの作曲活動30周年を記念した一枚。ヴォーチェス8の演奏で、ウィテカーが指揮。同じくウィテカー指揮の著名な合唱作品集である2010年リリースの「Light & Gold」と見比べると、M2. The Seal Lullaby のみ重複している。
初期の作品 Go, Lovely Rose や、長く人気作として歌われている The Seal Lullaby は、至るところから確かに「ウィテカーらしさ」を感じるが、こうして聴いてみるとそこまで洗練された作品というわけではない。「原点」として大事というのはよく分かるが。新曲の All Seems Beautiful To Me や、コロナ禍で作曲された Sing Gently の方がよく整っていて、和声的にも遥かに洗練された作品である。洗練された作品だから愛好されるかと言われたら、意外とそうとも限らないのが芸術の難しいところではあるが、個人的には最近の作品の方が好みだなと思った。
メインのカンタータ 『The Sacred Veil』 は詩人のトニー・シルヴェストリが妻の Julie を卵巣がんで亡くした経験、もっと言えば「シルヴェストリとJulieの愛と苦悩、喪失、内なる平和の探求の物語」を表現した12楽章形式の合唱とピアノとチェロのための大作である。テキストはトニー、Julie、ウィテカーの三者による。なんとなく聴いているだけでも十分に楽しめる作品ではあるが、テキストを読まずに聴くのはかなり勿体ない。たとえば I'm afraid では医師による診断や治療法がテキストに織り込まれたことで生々しく強烈な手触りの音楽となっている。
Julie の日記からの引用である Delicious Times では、誕生日の日に髪が抜け始めたという「悲劇的な」出来事が子どもとの思い出として昇華されていく。その一方で、同じく Julie の日記からの引用である Dear Friends では生きたいという祈りが爆発した「Fight with me」という強烈な言葉が印象的に響く。
By Thursday it was making a terrible mess, so the kids helped me shave off whatever was left. They’d pick up my hair from the ground and slap it on my head and say, “You need more hair!” and they would laugh and laugh. Then at bath time I wore my wig, and they would beg me to take it off and put it back on again - they howled with laughter.
Julia Lawrence Silvestri「Delicious Times」
You Rise, I Fall は最長の楽章であり、不協和音やポルタメントによる音の上昇・下降(これ以外の言い方があるかも)を多用し、技巧的にもかなり凝った現代的な音楽を通じて、テキストを読まなくても分かるくらいに「その瞬間」からのこと、特にこの世界に取り残され、深い闇の底に落ちていく夫トニーのことを表現していると思われる。
最終曲 Child of Wonder は、ウィテカーの記した詩とウィテカーらしい平穏な音楽による安らぎのための作品である。深く傷ついた者のためにそばにいる者ができることは、その者のために祈るということなのかもしれない。ウィテカーの言葉を引用しておきたい。
誰かに伝える言葉の中で、もうお家に帰っていいのですよ、と言うことほど素敵なものはないと私は思います。私は最後にこの詩を書きました。自分自身を許してほしいということをトニーにどう伝えればいいのか、想像もつかなかったからです。どうしたら自分のための祈りの歌を書けると言うのでしょうか。(Eric Whitacre)
ウィテカーの集大成という趣のある一枚で、予想していた以上に楽しめた。
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Eric Whitacre, Voces8
2023 (Decca: 4853970)
Presto, HMV, Choral Arts (pdf), AM Classical (The Sacred Vail 楽曲紹介)
★★★★★(2024/6/20)