最近聴いたポップス曲の備忘録。今回はひたすら過去作(準新作・旧作)を聴いていった記録。何かに触発されてもはや感想ではない雑文ばかりを書き殴ってしまった。
- 浦上想起『音楽と密談』
- 浦上想起「星を見る人」他
- 君島大空『映帶する煙』
- 君島大空「花降る時の彼方」
- 君島大空『no public sounds』
- 碧海祐人『うつつの在り処』他
- 高井息吹『kaleidoscope』
浦上想起『音楽と密談』
ファンタジックな響きが面白い一枚。ディズニーっぽいなと思っていたら、本当にアラン・メンケンに影響を受けたと語っていた。アラン・メンケンというと美女と野獣、アラジン、リトル・マーメイド、ポカホンタス、ノートルダムの鐘あたりか。イントロから「芸術と治療」のあたりでパッとディズニーを思い浮かべたけど、「未熟な夜想」なんかモロにディズニーの主題歌っぽかった。なお同曲はドラマ『名建築で昼食を』の主題歌だったらしく、一応は見ているはずなんだけど、だいぶ流し見していたからか記憶に残っていない。
耳に入ってくる音があまりにもキラキラしていて、まさに「夢の中と書いて夢中」。ひとときの旅という感じもする。現実から離れて異世界に連れて行ってくれる感じもまさに映画やミュージカル的。あとはアルバム収録曲の全曲名が5字なのもなかなかオシャレ。なお、最新曲「抜け出せ!」のエクスクラメーションマークを1文字とするならばサブスクにある楽曲は(英語のカバー曲を除いて)全て5字。完全に虜になってしまった。【2020】
浦上想起「星を見る人」他
浦上想起をもう少し聴いてみようという気持ちで、2021年リリースの2曲(甘美な逃亡、爆ぜる色彩)と、2023年リリースの4曲(星を見る人、角を探す人、近い夜明け、遠ざかる犬)を聴いてみた。2021年の2曲は『音楽と密談』と近い感じがしてどちらもかなりの名曲。2023年リリースの曲になると夢見心地なサウンドはさらに変化を遂げていて、単曲でもより濃くなった感じ。ちょっと濃すぎるなと思うくらいだが、やっぱり聴き入っちゃう。全体的に歌詞が「物語」っぽいのも印象的。とにかく好きなタイプの曲が多い。【2021/2023】
君島大空『映帶する煙』
この素晴らしいアルバムにどんな感想をつけようと思ったんだけど、聴きながらぼんやりと考えていたことを記録しておきたい。
映帶(えいたい)とは色や景色が互いに映り合うことを意味する。それに連なる言葉が「煙」というのが印象的である。煙が互いに映り合うという情景は一体なんだろうと考えることからこの楽曲の鑑賞は始まった。
世の中に優れた音楽が生まれる過程でできた余計なもの。みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。私は不思議に思いました。この人たち煙のくせに何のためにやってるんだろう。早く辞めてしまえばいいのに。(坂元裕二『カルテット』最終話)
坂元裕二『カルテット』の最終話では、差出人不明の手紙の中で、主人公たちの奏でる音楽が「煙突から出た煙のようなもの」と評される場面がある。煙のような音楽には一体どのような存在意義があるのか。セリフで直接的にアンサーが示されるわけではないが、一つの解釈を示すならば、煙突から出た煙が聞き手の目にとまること、あるいは風にのって聞き手のもとに「届いてしまう」ことはあるということが言える。聞き手全員とは言わない。いつでも届くとは言わない。それでも煙は、宛先の定まっていない手紙のようなもので、煙自身の意図とは無関係に「届く人には届いてしまう」ものなのだ。
君島大空『映帶する煙』を聴きながら坂元裕二『カルテット』のことを考えていたのは、まさにこのアルバムの音楽もどこか宛先の定まっていない手紙のような、それでもきっと「届く人には届いてしまう」と予感させるようなものだったからだ。君島大空を『カルテット』の音楽家たちと同列視するのも違うとは思うが、「煙のような音楽を肯定するパワー」のあるアルバムではないか、そんなことを思っている。
そしてもう一つ、煙は周りの状況による影響を受けながら様々な「色」になって、様々な「形」になって届く。煙という一つの「流動体(⇒文学的、美的に炸裂する蜃気楼)」の定まらなさはどこへ行くかだけでなく、どのような色を持つかやどのような形になるかという面にもある。或は、煙は容易く見えなくなってしまうが、そのにおいのようなものは簡単には消えないということも言えるかもしれない。
ここまで書いてきて気づいたが、まだ「映帶」という言葉の解釈にすら辿り着いていない。煙=流動体たる音楽が「互いに映り合う」とはどういうことなのか。それはまた別の機会としたい。【2023】
君島大空「花降る時の彼方」
出せない手紙も燃やせば或いは遠く遠くへと届くだろうか? 届くだろうか?
君島大空「花降る時の彼方」
出せない手紙を燃やせばそれはすなわち煙になる。この楽曲は『映帶する煙』の世界とそのまま通じている。手紙に記された言葉は消えてしまってもそこに込められた想いは消えない。そして届くのだ。手紙というアイテムには坂元裕二との圧倒的な共鳴を感じてしまった。泣いちゃったよ。【2023】
君島大空『no public sounds』
〔……〕無責任にアップロードされ、いつ消えるかも分からない、試験的な、音質や音圧のバラついた、出来立ての、賞味期限を超えた、etc… という余地余白のあるものの形見が狭くなってしまったような寂しさを覚え続けております。私が見つけたいのは、私という極個人としてもサブスクリプションという広場での遊び方です。〔……〕今作は季節に並走し、今自分が出したいものが集まった場所から見える景色や匂いを対内/対外へ(再)提示したいと思っています。(no public sounds 特設サイト[アーカイブ])
『映帶する煙』の感想めいた作文ではひたすらに煙の話をしてしまったが、こちらのアルバムもまた感想が悩ましかったので、とりあえず特設サイトの君島大空の言葉から印象的だった部分を引用することから始めた。
サブスク時代、確かに音楽消費のあり方が大きく変わったことは間違いない。だが、君島がここで書いていることは、よく見られるサブスクをCD等と比べて捉える方向よりも「soundcloud」等と比べて失われたもの・変わってしまったものの話である。それを私なりにあえて飛躍させてまとめるならば、「漂白化(清潔化)」の息苦しさのようなものを語っているように思われた。
言うまでもないことだが、このアルバムは「余地余白」を残し、ときには「余地余白」を作っている。あえてこういう音に、あえてこういう歌にしているのだろう。美しく整っていないからこそ届くものもある。それは「完璧」になれなかったことの言い訳ではないし、先のアルバムのところでも書いた「煙のくせに音楽を続ける理由」とも通じる。
君島大空というアーティストのことを深く理解しているわけではないのだが、2枚のアルバムを聴いて、音楽の視点は常に「苦しんでいる者」に向いているような気がした。なんとなくの認識に過ぎないのだが、それでも深い確信がある。【2023】
碧海祐人『うつつの在り処』他
碧海祐人の2023年以降のリリース作品、具体的にはEP『うつつの在り処』から未聴のシングル3曲(光を浴びて、Opal、遠吠え)を聴いた。各曲についてはnoteでセルフライナーノーツが公開されている(yoru, 嗄れ, 折, うつつの在り処, 光を浴びて, Opal, 遠吠え)。
碧海祐人の音楽は(言葉は)とにかく私の耳になじむ。あえて特徴を語ろうとする必要もないくらいに合う。だんだんこれ以上の感想は不要かもしれないと思い始めた。これから碧海祐人の音楽を聴きたい朝、昼、夕方、夜がきっとあるんだろうなと予感するくらい。【2023/2024】
高井息吹『kaleidoscope』
夢幻(ここではあえて「むげん」と読みたい)と無限という二つの言葉が同じ響きを持っているのは面白いことだと思う。
高井息吹の音楽からは「夢幻」を感じる。とりわけ本作は歌詞を見ても夢や幻という言葉がよく出てくるし、彼女の歌唱からもバックで流れてくる音からも夢や幻というものを感じさせる。そして夢幻は「現実」よりも遥かに広大な世界である。数学の概念を借りれば、夢は実数(real number)軸で、幻は虚数(imaginary number)の平面のイメージと重なる。現実という「一点」からは無限にまで直線が伸びている。その伸びの先にあるのが夢である。そして幻が無限の「広がり」を実現する。夢は現実を無限大まで直線的に拡張し、幻はそれと直交するように現実を平面的に広げる。真っ直ぐな道からの寄り道を可能にしてくれるように。
言葉にするなら「夢」は“現実の先”にあって、「幻」は“現実の隣”にある気がするんです。
私にとって、自分の見てる世界って現実なんですけど「幻」に近いっていうのかな? 昔から、直感とか偶然性とかを信じちゃうタイプなんですけど、自分の信じてるものって多面的に見たら必ずしも絶対では無いから、もしかしたら「その裏側もある」っていうか。
自分の知っていることや目に映るものだけが全てではないけど、それを分かっているからこそ信じたいものがあって。そこから生まれる“虚しさ”も含めて、自分にとって「幻」は“すべてを肯定する一言”でもあるんです。
(出典: 【高井息吹 インタビュー】稀代のアーティストが語った独自の音楽観と最新EP『kaléidoscope』 | ARBAN)
ここからは蛇足というか根拠もまともに伴わない話だが「万華鏡=kaleidoscope」は鏡に映りあうものであり、いわば二次元の夢や幻を三次元的に拡張することを実現するのかもしれない。複素数から四元数の世界へと突入してこのEPは終わる。
高井息吹を聴きながら数学のことを考えている人がこの世界にも他にいるのかはわからないのだが、高井の記している「虚しさ」という言葉に触発されるように、虚数のことを考えてしまったそのままを記した。楽曲は言うまでもなく素晴らしかった。【2020】