What Didn't Kill Us

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最近聴いた音楽 / 24-06-02

マカロニえんぴつ『ぼくらの涙なら空に埋めよう』

特に「月へ行こう」がかなり好き1。日常を歌いながらも、さらりと「宇宙をつかまえる」とか「月へ行こう」というスケールに進んでいくところに小沢健二と通じるものを感じる2。愛と「つもり」という言葉をつなぐところが個人的には素敵だなと思っているところ。歌詞だけでなく音楽全体としてめちゃくちゃ良い。「poole」の「ゆっくりと上手に生きる難しさ」というリリックも印象に残った。

ぼくらの涙なら空に埋めよう - EP

ぼくらの涙なら空に埋めよう - EP

  • マカロニえんぴつ
  • J-Pop
  • ¥1019

Voces8 Foundation Choir & Orchestra「Sleep」

ウィテカーの「Sleep」を合唱・オケ版で。予想を超えてこないといえば予想を超えてこないのだが(まぁこんな感じになるだろうなという感想)、それでもこうやってカタチになったものを聴くと良い曲だなぁとは思う。

ヨルシカ「ルバート」

シンプルに好きだなと思った。題の (Tempo) Rubato は自由にテンポを揺らして演奏をするというような意味の音楽用語。もとは「盗む」から来ているっていうのを中学の頃に習ったなぁと。「ルバート刻んでる私の鼓動 マーチみたい」ってなかなか絶妙な歌詞だなと。個人的には2サビの「神様とのヴィヴァーチェくらい楽しい…!」という歌詞が好き。

ルバート

ルバート

  • ヨルシカ
  • オルタナティブ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

aiko『相思相愛』

aikoの2024年新譜をようやく聴いた。表題曲「相思相愛」はもちろん良いのだが、カップリングの「まさか夢」と「あなたは優しい」がけっこう好み。「白濁の夢を溺愛 急ぎ足な心臓が毛布を求めて二度寝して」(「あなたは優しい」)なんてめちゃくちゃオシャレな歌詞。

遠くから見ればまっすぐ見える道は
歩いてみたらとても疲れる
aiko「まさか夢」

相思相愛 - EP

相思相愛 - EP

  • aiko
  • J-Pop
  • ¥764

乃木坂46「泣いたっていいじゃないか?」

高山一実原作のアニメ映画『トラペジウム』の公開を記念し、高山一実の乃木坂46時代のセンター曲で、18枚目シングル「逃げ水」(2017) のカップリング曲「泣いたっていいじゃないか?」のコラボMVが公開された(2024/6/15: 動画非公開)。秋元康の筆が割と乗ってる時期のシングル3で、MVがない分、割と貴重な映像だなと思いながら観た。

大人になったって
悲しいことはある
だけど 歯を食いしばって
我慢してるけど
たまには泣いたっていいじゃないか?

一人の人間であるアイドルの「涙」を物語として消費する構図に加担していることは自覚しているが、涙を流しながら懸命に立ち向かっていく姿に力をもらったり、こぼれる涙にアイドルたちの努力や苦しみを垣間見たり、そういう彼女たちの「涙」に心を動かされている自分も間違いなくいる4

この曲を聴くたびに全てのアイドルに幸あれと心から思う。


  1. <インタビュー>マカロニえんぴつ、イルミネーション最新作『FLY!/フライ!』日本版主題歌「月へ行こう」制作を振り返る | Special | Billboard JAPAN
  2. 最近はなんでも小沢健二に結びつけて聞いてしまうのが良くないところ。
  3. 私見では乃木坂の作品に秋元康の熱が最も入っていたのは2016年から2018年頃かなと思っている。個人的に秋元康をあまり好ましく思っていないのだが、グループや個人が持っている「キャラ」を掴んで、それを活かした歌詞を書くのは確かに上手い。乃木坂46の主要1期生の卒業が始まってグループとしての円熟期を迎えた16枚目「サヨナラの意味」(2016) あたりから22枚目「帰り道は遠回りしたくなる」(2018) あたりまでの時期の作品は歌詞も充実した名作が多い。新世代の卒業ソングとなりつつあるサヨナラの意味や、カバーも多い屈指の名曲であるきっかけ、レコ大シングルのインフルエンサーシンクロニシティ、表題曲以外でも泣いたっていいじゃないか?に加えて、満員電車から降りるという風景に自由という価値観を重ねたアンダー曲日常、乃木坂の顔を最初に務めた生駒のラストセンター曲Against、橋本の卒業ソロ曲のないものねだりなど、歌詞が好きな曲はほとんどがこの時期。どこかのタイミングでゆっくり語ってみたいな。
  4. (公開後に加筆)「涙」をエンタメにすることは「裏側を見たい」という視聴者の欲求と整合的だと思っている。その結果、YouTube、インスタグラム等のSNSにおいて、芸能人は裏側を自分からコンテンツ化していくことも増えてきた。アイドル文化はその流れの先頭にあったと言えよう。昭和から平成にかけて、アイドルとは手に届かない高嶺の花から握手会に行けば手を触れることができる地続きの存在へと変わった。飾る存在から飾らない存在へ、努力を見せない存在から努力を見せて消費させる存在へ、キャラを演じる存在から「素」を暴かれる存在へと変容してきた。あえて書くならば、山口百恵に憧れていた高山一実の声が、だんだん「低くなっていった」ことは、一人でこの変化を体現していたとすら言えるのかもしれない。